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2011.10.19

九十九の空傘

 人の居なくなった世界で、人の思いがモノに宿り、人の形を成している。そんな九十九神とよばれるモノ達のお話です。人は滅び、荒廃しきった街に時々生前の人の思いがモノに宿り誕生するのが九十九神と呼ばれる存在達で、生前の強い思いで人の形を成し続けるそうです。なので思いが成就すればモノに戻ります。また、寄り代であるモノが壊れる事で死を迎えます。寄り代は寄り代でしか破壊ずることはできず、よって武器を寄り代とした者は特別な役目を負うこととなります。また、カタナシ(形無し)と呼ばれる寄り代を持たない思いだけの存在が霧状として存在し、近づく九十九神を寄り代を求めて襲います。更に寄り代を奪ったカタナシは寄り代を得ても九十九神になるわけではなく、ただ自由に動くことができるようになり、九十九神を襲い続ける存在となります。こうした舞台で生まれたばかりの傘の九十九神である”カサ”の物語が始まるというストーリー。

 結局のところ「何故人が居なくなってしまったのか」という疑問に対しての回答は成されませんでしたが、読み終えた時の感覚的にはもしこのまま続巻が出るのであればおいおい分かっていけばいいものだなと気持ちの中では決着しました。何故なら今回描かれた九十九神達の物語が前述で述べた「分からないがそういう前提とした舞台」の上で非常に魅力的に表現されていたからです。それは「分からない」という事も含めて、というよりはよりキラキラさせるエッセンスの様になっていると言えばいいでしょうか。

 特にこの物語を心地よく感じさせる要因として語り部である傘の九十九神である”カサ”の存在でしょうか。作者自身、あとがきでも語っていますがこの娘を書きたくてこの話を書いたと言っているくらいなのでその愛情というか、大事に書いているなというのが文章からも伝わってきます。この感覚は説明するのが難しいので興味のある方は是非読んでみて体感してい頂くのが一番なのですが。

 この物語の中で印象的なフレーズが「善人は悪人を作る事で善人で居られる」というものです。誰かを悪者にする事でそれを糾弾する立場、悪で無い者=善人という構図。相対的な善悪ですが、現実社会においてはほぼこれが適用されるといっていいでしょう。とてもドキリとさせられる言葉でした。
 久しぶりに綺麗な作品を読んだという印象です。

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