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2013.10.26

劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語

 以前「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語」、「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編]永遠の物語」を観たのが昨年の10月の事です。昇華できなかった思いをつのらせた1年間。(TVシリーズからだともっとですね)とうとうこの日がやってきました。テンションは勿論高いのですがそこは押しとどめてあくまでも冷静に、まずは丸呑みする事。そのあとゆっくり消化できればいい。そんな気持ちで臨みました。ここまで気合を入れなければ逆に見た方が飲み込まれる。そのくらいの覚悟で見に行きました。

 さて、まだ劇場公開も間もないので内容については極力触れないようにしますが、感想を書くうえでどうしても触れないと書けない部分もあるのでネタバレを気にする方は観た後にゆっくりと読んでいただければ幸いです。

 まずは「[新編]叛逆の物語」を観るにあたってTVシリーズ全話、又は[前編]始まりの物語&[後編]永遠の物語のどちらかを見ておくことは必須条件となります。「[新編]叛逆の物語」自体は世界感や描き方こそ奇怪ですが、非常にわかりやすい構成になっており、しっかり見ていれば全て理解できる作りになっています。(要所要所に説明的な台詞も入るのですが、しっかり見ていればむしろ要らないくらいです。)但し、それは前提条件があればこそとなります。他のマルチメディア化した情報は一切知らなくても本編となるTVシリーズの内容だけをしっかりと咀嚼していれば十二分に楽しめる内容となっています。

 前置きはこのくらいにして、【ここからネタバレ含みます】まず冒頭。まどかの居た幸せな日常シーンから始まる違和感。そして気づく「今は失われてしまっている」このシーンの残酷さに胸を焦がします。そして次々に描かれていく現実世界との相違点ですが、ここは動きがあるまで騙されたふりをして楽しく見続けます。(冒頭で既に視聴の観点が物語上のほむらと同一であることがこうして振り返ってみるとわかります。)まどか、ほむら、さやか、京子、マミと全員そろったスタイリッシュでコミカルな「ナイトメア」の討伐シーンや京子も含めた幸せな私生活を「(仮に)夢」とわかりつつも本当にこうだったらいいのにと「夢」を肯定し始めた頃、ほむらが違和感に気が付き始め調査を開始します。とりあえずここまで見て「ん?」と思うのは、

・まどかの存在
・さやかの存在
・京子が同級生であること
・マミのパートナーであるべべ(お菓子の魔女)の存在
・しゃべれないキュゥべえ
・ナイトメアという存在

 しかしこれらの違和感に対してしっかりと順序立てたうえで見事に昇華していく様は本当に見事で、先程もしっかりとみていれば全てが分かるといった通り、一つ一つの謎や問に対して最後には決定的なキーワードを各々が放つのですが、大抵解を言い放つ前に理解できてしまうので理解→回答という形になり、回答が蛇足に感じられる部分もありました。ピースがはまっていく感覚はそれはそれでいいのですが、考える、想像する余地みたいなものがもう少しあっても良かったのではないかなと思わなくもありません。

 とりあえず今回も大いにムカついたのはインキュベーターでしょうかwこいつ本当にろくなことしません。ほむらに施した「実験」はTVシリーズを見ていた時に感じたインキュベーターへの感情に匹敵する程で、あまりのおぞましさに怒りよりも悲しみの方が先立った程です。

 全ての謎、正体が明らかになり、まどかを守る為なら種の中で永遠に腐り続ける事を選択するほむらとの戦闘シーンは数ある見どころの一つで、まどかとこれまで浄化してきた魔女との関係が感じられる素敵で迫力のあるシーンです。その戦いの結果辿り着くまどかがほむらを迎えるシーン。本来であればこれでハッピーエンド。ほむらの思いも昇華され、「よく今まで頑張ったね。」となるところですが、ここからが映画のタイトルである「叛逆の物語」の始まりです。流石にこの展開までは読めませんでした。

 前々から思っていたことの一つとしてまどかがあれだけの力を得た裏にほむらの行動と思いがあるならば、ほむらも同等の力を持っていていいのではないかという事。ただ、まどかと違うのはまどかはソウルジェムを生み出す際の願いのエネルギーとして具現化したのに対してほむらは既にソウルジェムを得ていたこと。しかしそれすらも新たなジェムを生み出すことでエネルギーを具現化させます。この新たなジェムの解釈だけは今をもってしても理解しきれていない所です。ほむらの思いの強さがそれを可能にしたと言ってしまえばそれまでなのですが、人→魔法少女の対価としてのソウルジェムの発生とするならば、その上位への変態がそれを生んだのか?それともソウルジェムを割らずして魔女の存在をここまで育てたことによるものなのか?自ら砕き体内に取り込んだことによるものなのか?とにかくほむら自信が今回の行為に及んだ大きな原因として本当は辛かったという「まどかの本心を知ってしまった」ことは非常に大きいのではないでしょうか。
 ちなみにほむらが「愛」だと語った衝動についてですが、つい先日クロジによる「ヒルコ」という演劇を観劇したのですが、これがまた様々な「愛」を題材にした演目で、先日までその内容についてさんざん考え抜いた後だったからでしょうか。これもほむらが「愛」だという言う前から理解した上、抵抗も違和感もなくすんなりと受け入れてしまいました。たとえその為に世界の理そのものを変たのだとしても。愛するその人の覚悟や思いを捻じ曲げる事になったとしても。

 TVシリーズの最後のカットで、ほむらが一人荒野を歩いていくシーン。あれが何なのか?ずっとあの答えを追い求めてきましたが、今回の叛逆の物語を見てその答えというか、あの数秒のカットこそが叛逆の物語そのものであったと理解できます。

 正直ここまで満足のいく作品が観られるとは思ってもみませんでした。上映中は始終泣いていたように思います。それこそ嬉しくて、悔しくて、苦しくて、悲しくて、様々な感情で心を動かされました。TVシリーズの頃から理解はできるけど納得はしないと言い続けてきました。今回の叛逆の物語を経てやはりその気持ちは変わらないものの「物語」の終わりとして納得している自分も居て、大変満足しています。
 久しぶりに複数回劇場へ足を運びたいと思う作品であったことに称賛と共に係わったスタッフ皆々様にはありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

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